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静岡地方裁判所浜松支部 昭和39年(わ)2号 判決 1965年3月05日

被告人 久野新一 外一一名

主文

被告人久野新一を懲役二年に、

被告人池田一夫を懲役一年に、

被告人佐藤新一を懲役九月に、

被告人松井一郎を懲役二年に、

被告人加藤光夫を懲役一年三月に、

被告人戸根木光治を懲役四月に、

被告人川村金吾を懲役一年に、

被告人志村保夫を懲役六月に、

被告人鈴木勲を懲役四月に、

被告人鈴木覚を懲役四月に、

被告人高橋達を懲役四月に、

被告人加藤虎司を懲役六月に、

各処する。

但し、この裁判確定の日から、被告人池田一夫、同佐藤新一、同戸根木光治、同川村金吾、同志村保夫、同鈴木勲、同鈴木覚、同高橋達、同加藤虎司に対しいずれも三年間、被告人加藤光夫に対し五年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人一二名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一、被告人一二名は共謀のうえ、昭和三八年一一月二一日施行の衆議院議員総選挙に静岡県第三区から立候補した足立篤郎に当選を得させない目的をもつて、右足立篤郎方女中村松幸子が同家附近の山中で自殺した事実のあることを奇貨とし、右足立篤郎が右幸子を強姦し、その後も情交関係を続け、そのことを知つた同候補者夫人も右幸子を責めたてたため、右幸子がやむなく自殺した旨の虚偽内容をもつた誹謗文書多数を作成して頒布しようと企て、昭和三八年一一月一六日の夕刻頃から深夜にわたり静岡県袋井市高尾一二〇六番地被告人川村金吾方において約二五〇〇枚の藁半紙に「足立篤郎代議士家女中村松幸子さん白骨死体の真相」と題して、「昨年春足立代議士夫人常子が外遊中、丁度帰宅した足立代議士が村松幸子を強姦し、その後も情交を続け、外遊から帰つてそのことを知つた常子夫人が夜昼たてつゞけに右幸子を責めたてたので、同女は足立家を呪いながら、お腹の子もそのまま自殺した。足立家では二ヶ月も捜索願を出さずに放置し、その間夫人は近所の人達に幸子は東京にお嫁に行つたと言つていた。こんな嘘をつける常子夫人は女でしようか、自分が責め殺して平然としていたのです。足立夫妻が共謀で右幸子を殺したも同然です。こんな人殺しが政治家として立候補したり、投票せられることが許されるであろうか」という趣旨の虚偽の事実を記載した文書約二五〇〇枚を作成し、約一、〇〇〇通の封書に封入して、同日午後一二時頃から翌一七日の午前一時半頃までの間、浜松市旭町四四番地浜松郵便局前ポスト外三ヶ所でこれを投函し、同市篠原町四〇二一番地の一美容院鈴木かずゑ等約一、〇〇〇人のもとに郵送し、前記選挙区の選挙人多数に前記文書を閲覧させ、もつて足立篤郎に当選を得させない目的をもつて公職の候補者に関し虚偽の事項を公にすると共に、公然事実を摘示して足立篤郎及び同人の妻常子の名誉を毀損し、

第二、被告人池田一夫は、県政時報と称する新聞を発行しているところ、右県政時報第四六号に「太田正光氏が総選挙に出馬することを表明しているが、同氏は老人化する現在の政治に若さと情熱を叩きこもうとする熱意を持つた政治家で、氏の若さに溢れる政治への至情は中央政界で定評があり、将来を嘱目されており、河野建設大臣も太田正光は若くて頼もしく勇気のある勉強家であるから、中央政界に出て健斗してもらいたいと演説した」という趣旨の記事を掲載して、昭和三八年一一月二一日施行の衆議院議員総選挙に静岡県第三区から立候補した太田正光の氏名を表示する文書を作成し、右選挙運動期間中の

(一)  昭和三八年一一月五日頃、不特定多数人に配布させる目的で、静岡県周智郡春野町豊岡一六四六番地春野町長森下徳夫に前記文書三四六枚を配布し

(二)  同年一一月六日頃、不特定多数人に配布させる目的で、静岡県袋井市高尾二二六〇番地松井一郎に前記文書約三、〇〇〇枚を配布し

(三)  斎藤[金圭]三と共謀のうえ、同年一一月九日頃から同月一五日頃までの間、静岡県袋井市沖山梨三五番地の一石黒栄市等約八三〇名に前記文書約八三〇枚を配布し

(四)  被告人佐藤新一と共謀のうえ、同年一一月一二日頃、内藤隆代志を介して同県周智郡森町天宮七六五番地新聞配達人白沢義男に対し、不特定多数人に配布することを依頼して前記文書約一、四八五枚を配布し

もつて頒布し、

第三、被告人佐藤新一は、被告人池田一夫と共謀のうえ、前記第二の(四)記載のとおり、前記白沢義男に対し、不特定多数人に配布することを依頼して前記文書約一、四八五枚を配布し、頒布し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(証拠説明の概略と被告人、弁護人等の主張に対する判断)

判示第一の虚偽文書記載の事実については、足立家の女中村松幸子が自殺したのは真実であるが、足立篤郎の強姦行為、同夫人の虐待行為はこれを認めるに足りる片鱗の証拠もない。被告人等が虚偽性の否認乃至真実性の立証のため援用した証人等の供述は、全て足立篤郎と政治的反対の立場に立つ者の主観的な悪意ある中傷か、極端な想像的推測にすぎない。しかも情報源さえも秘匿する出所不明の二重三重の伝聞証拠が大部分である。更に公判廷における足立夫妻の尋問に際し被告人側は足立夫妻の供述を全く論駁できず、その口からは虚偽文書の真実性を推測させる供述を何一つとして獲得できず、たゞ信用性を争うためと称して、文書内容とは全く関係なく何人も記憶しないのが当然と思われる些事について綿々と尋問するに止つた。この点から見ても本件文書の内容が虚偽であつて、被告人等が主観的にも本件文書の虚偽を十分認識していたことは明白である。たゞ被告人側は、証人山下敏子、同溝口郁代の秘密録音テープ(昭和三九年押第二四号の二七二)を特に真実性を立証する資料だとして強調するので、これについて詳論する。

(秘密録音テープについての判断)

(一)  秘密録音に至る経緯

山下敏子(昭和一六年一一月二五日生)は、足立篤郎方の近所に居住して、その父が足立篤郎の選挙の応援者であるところから、昭和三五年一一月の衆議院議員選挙の際足立家に手伝いに行つたことがあり、その時から当時同家の女中をしていた村松幸子と知り合い、時折同家を訪れたりして村松幸子とも交際があつた。

溝口郁代(昭和一六年七月三日生)は、昭和三六年一月に静岡県袋井市内の神谷洋裁学院に寄宿入学し、その当時同学院に通学していた村松幸子と知り会つて交際するようになつた。

右山下、溝口の両名は、村松幸子が昭和三七年六月四日に足立家から家出する数日前に同女と電話で話をしたり、洋裁の用件を頼まれたりしていたし、同女の家出後も足立家から同女の行方等について照会を受け捜索を依頼されたことがあつた。そのため、判示第一の虚偽文書(以下怪文書と称する)について捜査が開始された後において、山下、溝口の両名は、前記家出前後の村松幸子の行動態度、同女と足立夫婦との関係等について警察官から尋問され調書が作られた。即ち山下について昭和三八年一二月二四日付、同三九年一月一一日付、同月一四日付の三通、溝口について同三八年一二月二九日付、同三九年一月七日付、同月八日付の三通である。この合計六通の供述調書は、本件公判において検察官側から証拠として提出され、弁護人側の同意を得て証拠調が行われたが、弁護人側は、更に右山下、溝口の両名を村松幸子と足立夫妻との関係について詳しく尋問するために証人として申請し、その証拠調は昭和三九年六月二二日静岡県周智郡森町森警察署において施行された。ところで右証拠調に先立ち、山下はその勤め先である山梨商工会の事務室から、電話で当時静岡県周智郡春野町に居住していた溝口に連絡して打ち合せたうえ、同年六月七日に同県袋井市天理教教会境内の公園で落ち合い、来るべき証人調の施行に関して話し合つた。被告人志村は予めこれを知つて、携帯用録音機を装置した手提鞄を用意し(この点から見て被告人等は山下、溝口の当日の行動予定を予め了知していたものと推測される)、山下、溝口が同被告人に面識のないことを利用して、偶然の出会いを装い、右手提鞄を一時預つて貰いたい旨申し入れ、右両名のすぐ近くに手提鞄を保管させ、約一時間半にわたり両名の私談を秘密に録取したのである。

(二)  山下、溝口が右のような私談を行うに至つた心理状態

前記のように山下、溝口は、既に警察において尋問を受け、その際村松幸子と足立夫妻との関係について供述しているのであつたが、弁護人の申請により今度は公判で証人として取調べを受けることとなつた。そのような時に当り、山下は、被告人佐藤から呼び出されてドライブに誘われたり、それを断ると中華料理店で食事を振舞われ、被告人加藤光夫からも二回位呼ばれてその使用人から漬物の贈り物を受け、また伊藤弁護人からも面接を求められたが、このような機会に際し本件公判において提出された溝口その他の訴訟関係人の供述調書を見せられたため、自己の供述がそれ等供述とくい違うことを極度に恐れるに至つた。このように山下は被告人側の活溌な働き掛けのため、公判における尋問を畏怖して強い不安の念をいだき、溝口に対しても同様自己の調書を示してくい違いが問題にされるに相違ないと信じ、両者の証言が齟齬することを極度に恐れるのあまり、溝口についてその知つているところを確めるべく、前記のように溝口に電話をかけたものであり、溝口もまた山下の連絡により、山下と全く同様の心理状態から公判の尋問に強い不安をいだいて、山下の記憶を確めるべく前記会合の場所に出向いたものと推測される。

(三)  録音テープの証拠能力

以上の説明により明らかなように、本件録音は山下、溝口の秘密の談話を欺罔手段により盗聴したものである。元来このような秘密録音は、個人の人格権を侵害する違法なものである。論者或いは、被告人等は山下、溝口が共謀して偽証しようとするのを防ぐためやむなく録音したのであるから違法性を阻却すると主張するかもしれない。しかし前記のように山下、溝口の両名が会合するに至つたのは、証拠を隠滅したり偽証の準備をしたりするためではなく、たゞ供述調書のくい違いを明らかにするためであるから、その見解は当らない。むしろ被告人等自らが甘言、利益、圧力をもつて執拗に証人に接近して自己に有利な証言を追求する態度を示し、他人の供述調書を提示して証言の齟齬を示して困惑させることによつて不安な心理状態を生じさせ、その心理状態下に両名が会合を約すると、その機会を利用すべく予め録音装置を整えて盗聴するに至つたものであるから、本件録音は被告人等が行なつた一連の違法訴訟活動の一環をなす違法行為と見るべきである。勿論証人両名が行なつた証言の事前打合せは真実発見のためには望ましくないが、前記の事情を総合すれば結局山下、溝口を責めるよりその人格権の保護を優先させて然るべきものといえる。

従つて、本件秘密録音は結局違法であり証拠能力の点にも甚だしい疑問があるといわねばならない。しかし、当裁判所はこの疑問はそのままとして証明力の点を詳しく論じてみたい。けだし本件は重大な名誉毀損事件であり、被害者の名誉を回復し正義を実現するには徹底的な真実発見を目指さねばならないからである。

(四)  録音内容の証明力

(1)  内容の不明瞭性

本件録音テープは、ボリユームを最大にして発言者から離れた位置でしかも戸外で録音してある。そのため周囲の雑音が大きくて、山下、溝口両名の会話はたゞ会話しているということがわかるだけで、内容については全くといつてよい程識別できない(通常このように雑音の大きい環境で録音する時にはボリユームを最小にして発言者の口に近づけて録音するのであるが「秘密録音のためそれができなかつたわけである)。

当裁判所はN・H・K技術研究所音響研究室技術部長藤田尚に録音テープの鑑定を依頼して、高音部と低音部を排除した修正テープを作成させた。

被告人松井はその修正テープについて聴取のうえ、自ら聴取できたと主張する内容部分を書面に記載し、「証人山下敏子、証人溝口郁代、会話の内容」(以下会話内容主張書と略称する)と題して提出した。

当裁判所は前記修正テープの内右会話内容主張書に記載されている分を抄録したテープ(これを抄録修正テープと略称する)を作成した。

そして更に、山下敏子を昭和三九年一一月六日、同月一〇日、同月一七日、溝口郁代を同年一〇月二〇日、同月二七日、一一月一七日に、調停室において証人として長時間尋問し、前記抄録修正テープをくり返して再生しながらその供述を求めた(再生の都合上静粛を要するので法廷外で尋問した)。しかしながら、前記のような修正改良を加えてもなお、録音テープの会話内容は極度に不明瞭であつた。すなわち約一時間にわたる録音時間中継続的に一部の会話内容の単語や語句が聞える程度であつて、全体として会話主題の推移、会話の構想等全くとりとめなく、しかも両名が方言を用いて早口で奔放に交々喋り来り喋り去るという有様で、語句そのものが文章体をなしていないのであり、語調や抑揚も不正確で、そのため質問か返答か、疑問文か肯定文かが不明の場合も多く、又発言がわかつても前後の連絡が不明のため数個の同音語のいずれに当るかが不明なことが多い。当裁判所は、被告人松井の提出した会話内容主張書を中心として、抄録修正テープを数回にわたり(重要点については十数回にもわたり)細心に聴取したが、右主張書の内容と一致するような印象を受ける部分もあるが、しかしそうでない部分も多く、時に一部の単語はそのように聞えても、その前後の文章の語尾が主張書とは同一に聞えないため、全体として別の意味の可能性を生ずることが多かつた。いずれにしても、もし仮にある供述調書が存在し、その内容についてこのテープと同様の欠陥があるならば、そのような供述調書には寸毫の証明力も認められないのであろう。それ程この録音テープの内容は不明確なのである。

(2)  録音会話時における証人両名の心理状態と会話内容の真実性。

山下、溝口が、前記会話に際して足立夫妻と村松幸子との関係について、何か怪文書記載の事実に近いこと、それも強姦の事実では全くなくたゞ性的関係とか虐待関係とかをによわせるような事実を喋つているとしても、それは全て被告人等の流布した怪文書より発見する強い影響から生じたものである。その理由は次のとおりである。

被告人等は、前記のように証人山下、溝口に対して、有利な証言を獲得するため甘言や物質的利益の提供、押しつけがましい厚顔をもつて圧迫を加え、本件公判開始後においても強く怪文書の真実性を主張し、証人等の附近の住民に対してもその内容を信じさせようとして強力に働きかけているのである。このような情況の下において、山下、溝口の両名は、被告人側から公判外において他の訴訟関係人の供述調書を見せられたため、自分達の供述のくい違うこと(細かい点の記憶違いは実際は珍しくない)を極度に恐れて非常な不安をいだいたのであり、このような不安定な精神状態において、前記のような被告人側の強力な逆宣伝が行われれば、まだ未婚で若年の右両名としては、被告人等の主張にも一部の理があるような気がして来るのは当然といえよう。すなわち、山下、溝口としては本当は足立夫妻と村松幸子との関係については前記の警察官調書に記載された事実以外には知らないのであるけれども、被告人等の不当な公判外の証拠収集活動のため、両名が互いに相手方が自分の知らない事実を知つているかと疑つたのであつて、その私的会談に際しても、足立夫妻と村松幸子との関係について被告人等の逆宣伝や怪文書記載の事実を相互に話し合つて、その真否を確め合つたものと推測せざるを得ないのである。しかもその際両名は被告人等の逆宣伝と違法な公判外訴訟活動の影響を受けて、また聞きの事実をあたかも真実であるかの如く前提した口調で相手方に話し掛けることが多いといえる(たとえば「……したということだ」というべきところを「……したじやん(でしようとかじやないのという意味)という)。録音テープの中の両名の余話が立板に水を流すように早口で語り合つている点から見ても、当裁判所は、その会話に、いわゆる婦女子間の無責任な「井戸端会議」以上の迫真性を認めることができなかつた。けだし真に体験したことを正確に相手方に伝える意図があるならば、慎重に思慮して記憶をたどり、表現を吟味しつつ、間をおいてゆつくりと話し合い、誤謬を訂正し合うのが通常だからである。また、このようにのべつにたゞ口舌の快を求めるように喋りまくるというのは、自らの意に反して裁判所へ呼ばれるという不満感情の、はけ口を求めているからであつて、そのため足立夫妻に対してはその場限りの蔭口に類することも述べられたであろうことは当然予想できる。従つて、録音テープの中に足立夫妻に関する悪口に類する言葉が存在したとしても、それは伝聞乃至想像に基く単なる主観的な意見にすぎず、両名二人限りの対話であつて、他人に対し主張する意図も根拠もないものであると解するのが相当である。

(3)  「書置」の語について

なお録音テープの中には「書置」という語が聞かれ、会話内容主張書はそれは何人か(山下、溝口又は足立夫妻)がその書置を隠しているように聞かれると主張するので、この点に特に判断を加える。村松幸子が足立家を家出したのは昭和三七年六月四日であつて白骨死体となつて発見されたのは同年八月八日である。

従つて、もし書置が実在したのなら、何人かが死体発見前にそれを入手して死亡の事実を了知していなければならない。しかるに死体発見までは、足立夫妻、山下、溝口両名は勿論何人もその死亡を知つた痕跡のなかつたことは明らかであるから、このような書置の存在は否定されるのである。従つて、この書置という言葉は被告人側の逆宣伝の言葉を証人等が受け売りして会話に上せたものと断ぜざるを得ない。

(4)  山下、溝口両証人の供述中の態度について

最後に、当裁判所は、山下、溝口両証人を尋問する際仔細にその供述態度を観察したのであるが、その際両証人が、録音の会話内容の中で我々にも明瞭に聞き取れるような語についてまでも、故意に説明を回避するような印象を受けたことは事実である。しかし尋問後に種々の要素を総合してみると、その点に関しては次のように判断するのが正しいと考える。

(イ) 前記のように、証人両名は被告人側からの強い影響の下に被告人側の逆宣伝内容である伝聞的な風評を互いに話し合つたのであるから、証人等としては、たゞ足立夫妻と村松幸子について漠然とした議論をしたという記憶だけが残り、その話した一言一句は勿論、具体的な題目についても殆んど記憶されていないのが普通である。証人両名は、テープ再現に立会つた際、録音された両名の会話の声のいずれが自分の声であるかさえわからないと供述したので、裁判所は一応は証人のこの言に強い不信の念をいだいた。しかし再考するに裁判所自身も、また関係立会人も、その場合両名の声の識別はできなかつたのである。我々の経験によれば、録音に慣れない者には自分の声より他人の声の方が同一性の識別が容易であるし、録音された自分の声が自分の真の体験を述べている場合には自分の声として識別しやすいが、伝聞の内容を述べているにすぎないときは識別しにくいのである。従つて、単なる噂話として証人両名が互いに喋り合つた本件会話の内容の多くが、記憶に残つていないのは当然である。

(ロ) 前記のように、証人両名は、そのうつぷんをはらすため、時には他人に他言できないような足立夫妻についての無責任な伝聞乃至想像の蔭口を喋つたのであるから、仮りにその内容について記憶があるとしても、正式の証人尋問においては、足立夫妻への遠慮から供述をはばかるのは当然といえよう(特に山下の父は足立氏の選挙応援者であつた)。

この心理のため証人達は喋つた記憶のある会話内容についてまでその記憶を否定した部分があろう。しかしその記憶内容は、何等証人の体験に関するものではないから証拠価値がなく、しかも前記(三)の「録音テープの証拠能力」において述べた理由により、被告人側における録音そのものの違法性が強いから、この種の証人等の虚偽供述の違法性は、まことにとるに足りないものである。また証人両名のその余の供述の信用性に及ぼす影響も皆無である。

以上の(イ)(ロ)の理由により、我々が一応疑いありと考えた証人山下、溝口の証言の大部分は、真実の供述であり、僅少部分は虚偽供述かもしれないが、全く重要性なくかつ違法性もとるに足りないことが明らかになつた。なお附言すると、証人等は前記録音内容の会話において、「裁判所では調書に書いてあることの外はふれない」と話し合つた形跡があるようにみえる。しかし、これも前記の如く右会合が単に証人両名の記憶の内容を確め合う目的のものであり、その際に語り合つた伝聞の噂話や足立家についての蔭口は、証人等が体験した事実でないから、「裁判所では噂話や蔭口は喋らないことにしよう」という趣旨と解すべきであつて、決して事件の重要な内容について偽証をするという趣旨のものでないことが明らかである。

以上要約すると、録音テープ中の両証人の会話の内容は、警察で述べた供述と符合する部分の外は、全て出所不明の伝聞であるか、単なる蔭口(意見)であつて、証明力は全くない。

(法令の適用)

被告人一二名の判示第一の所為中、公職選挙法違反の点は刑法第六〇条、公職選挙法第二三五条第二号に、足立篤郎及び同常子に対する名誉毀損の点は刑法第六〇条、第二三〇条第一項、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、被告人池田の判示第二の所為及び被告人佐藤の判示第三の所為は刑法第六〇条、公職選挙法第二四三条第五号、第一四六条に各該当するところ、被告人一二名の判示第一の公職選挙法違反罪と足立篤郎及び同常子に対する各名誉毀損罪は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、いずれも刑法第五四条第一項前段、第一〇条により一罪として最も重い足立篤郎に対する名誉毀損罪の刑で処断することとし、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、被告人池田の判示第二の罪、被告人佐藤の判示第三の罪についてはいずれも所定刑中禁錮刑を選択し、被告人池田の判示第一の罪と判示第二の罪、被告人佐藤の判示第一の罪と判示第三の罪とは、いずれも刑法第四五条前段の併合罪なので、いずれも同法第四七条本文、第一〇条により重い判示第一の罪に法定の加重をしそれぞれ所定刑期の範囲内で被告人久野を懲役二年に、被告人池田を懲役一年に、被告人佐藤を懲役九月に、被告人松井を懲役二年に、被告人加藤光夫を懲役一年三月に、被告人戸根木を懲役四月に被告人川村を懲役一年に、被告人志村を懲役六月に、被告人鈴木勲を懲役四月に、被告人鈴木覚を懲役四月に、被告人高橋を懲役四月に、被告人加藤虎司を懲役六月に処し、刑法第二五条第一項を適用してこの裁判の確定した日から、被告人池田、同佐藤、同戸根木、同川村、同志村、同鈴木勲、同鈴木覚、同高橋、同加藤虎司に対しいずれも三年間、被告人加藤光夫に対し五年間それぞれその刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条により被告人一二名に連帯して負担させることとする。

(選挙の自由妨害罪の訴因に対する判断)

なお、検察官は、被告人等の判示第一の所為が、極めて悪意の中傷を伴い、判示文書を真実と思い込ませるため差出人があたかも前記幸子の友人一同であるかのようにその名義を冒用しており、その宛名も美容院、芸妓置屋、料理店、洋裁学院、理髪店、農協等の多数人の集合する業者、団体であり、前記選挙区の選挙人多数に閲覧させたものであるから、不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したものとして公職選挙法第二二五条第二号の選挙の自由妨害罪にも該当すると主張して起訴している。

元来、公職選挙法第二二五条第二号の選挙の自由妨害罪に「偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したとき」とある中の「妨害した」とは、単に選挙の自由を妨害する抽象的危険性をもつだけでなく現実に妨害の結果を生ずるか、またはその具体的危険性を生ぜしめることを指称するものである。すなわち特定の選挙行為(投票乃至選挙運動行為を構成するあらゆる心身行動)が現実に阻止されるか、具体的状況上阻止される危険を生じたことを要するのである。というのは、そうでないと公職選挙法上処罰されるあらゆる形式犯だけでなく、単なる反道徳的行為でさえ、本条項により処罰されるという不当な結果――これは法定刑懲役四年の白紙構成要件を認めるに等しい――を生ずることになるからである。従つて、右条項が挙げている「交通若しくは集会の便をさまたげ又は演説を妨害」するという例示も、妨害の具体的な結果乃至危険性の必要性を明らかにしているものといえる。ところで公職選挙法第二三五条第二号の虚偽事項の公表罪も、広義においては選挙の自由を妨害する犯罪であるが、その本質は選挙人に虚偽の資料、すなわち公正な判断を誤らせるおそれのある資料を提供することにあり、この誤らせるおそれというのは抽象的危険性をもつて足りるのである。すなわちこの罰条は一種の抽象的危殆犯であつて、現実に選挙人の判断を誤らせ、または誤らせる具体的危険を生ぜしめることを必要としないのである。しかしながら、この虚偽事項の公表罪といえども、その結果として選挙の自由を妨害する具体的な結果乃至危険性を生ずることがあるのは当然であろう。そしてその場合には、いわゆる観念的競合として虚偽事項の公表罪と選挙の自由妨害罪の両罰条に該当するであろう。ところで検察官も本件について右の観念的競合の成立を主張しているのである。すなわち本件虚偽文書が足立候補の「選挙区の多数の選挙人に閲覧された」ため選挙の自由(選挙人の投票と足立候補のための選挙運動)が妨害されたと主張するのである。しかしながら、本件については選挙の自由妨害罪は次の理由で証明不十分である。選挙の自由の妨害(例えば得票の減少、選挙人の離反により生じた選挙運動の障害、またはそれ等の結果を生ずる具体的危険)と虚偽事項公表との間の因果関係は、当然閲覧した選挙人の心理について具体的に立証されねばならない。従つて、検察官側もまた被告人側も、この選挙人の心理を明らかにすることについて訴訟上重大な利害関係をもつことになる。しかしながらこの心理的因果関係の探知は、憲法第一五条第四項前段に規定されている投票の秘密を侵すおそれが十分にある。本件について検察官がこの点を立証するために提出した多数選挙人の供述調書においても、この憲法上の制約をうけていて、そのため怪文書を閲覧した選挙人によつてその閲読より得た一般的印象や抽象的意見が述べられているにとどまり、それが候補者支持の心理に及ぼした具体的な影響は述べられていないのである。従つて、このような供述は怪文書が選挙人一般に与えた心理的影響の大きさを証明するものとして量刑上の証拠とはなるものの、公職選挙法第二二五条第二号の選挙の自由妨害罪の構成要件である妨害の具体的な結果乃至危険性を証明するものとしては不十分といわざるを得ない。仮りにこの程度の立証をもつて十分とすれば、妨害の因果関係の不存在を主張する被告人は、具体的に選挙人の心理について検察官の主張を反駁する機会を憲法によつて奪われたまま、有罪の判決を受けるという正義に反する結果を生ずる。要するに、虚偽事項の公表と選挙の自由妨害の両罪は、法律上並びに事実上は競合する余地があるが、その競合の立証は憲法の制約のため法律上殆んど不可能といわねばならない。従つて、本件については結局選挙の自由妨害罪の証明がないことに帰する。しかし、選挙の自由妨害罪は名誉毀損罪、虚偽事項の公表罪と観念的競合の関係にあるものとして起訴されているので、特に主文において無罪の言渡はしない。

(情状)

本件虚偽文書は、衆議院議員候補者足立篤郎を強姦という極悪犯罪の犯人に仕立て更に足立夫妻を「人殺し」「人非人」呼ばわりする極度に悪質のものである。およそこの種選挙関係における虚偽文書においては、概して候補者の性的私行をあばきまたは汚職のぬれぎぬを負わせるようなものに限られ、本件の如く具体的に兇悪狂人として指摘するものは稀有に属する。しかも足立家の女中である若い女性が偶然自殺したことを悪用しつつ、極めて巧妙に潤色した具体的事実を羅列し、読む者をして足立夫妻の人格に強い疑念を抱かせるものなのである。そして発信人を自殺者の友人一同とし、送付先は多数人の集合する美容院、農協等の業者、団体であつて、発送時期も投票日の直前を狙い、足立派が反駁の措置をとる余裕もないように仕向ける等、公表手段も悪質狡猾を極めているのであつて、選挙に対する悪影響と被害者の社会的名誉の侵害は絶大である。およそ民主国家においては、選挙制度があらゆる権力機構の唯一の基礎となるのであつて、本件のような言論の自由を濫用する最も悪質な手段をもつて選挙制度を破壊し個人の名誉を覆滅する者に対しては、近代国家は最大限の力を尽して鎮圧すべき義務を負うものである。しかも被告人等はこのような重大犯罪を犯しながら毫も反省の色を示していない。すなわち被告人等は起訴後もなお公判廷において依然として虚偽文書内容の真実を主張すると誇称しているだけでなく、公判外においても、積極的に証人に働きかけ或いは利益をもつて誘導し、或いは証人に他人の供述調書を見せて証言内容に影響を与え、或いは証人の人格の尊厳を侵して秘密録音を行ない、或いは自殺者の遺族に虚偽の事実を告げて足立夫妻に対する反感を植えつける等敢て違法乃至不当な証拠収集活動を行ない、更に足立家附近の部落民に対しては強力且つ執拗に怪文書と同内容の逆宣伝を継続しているものである。すなわち被告人等は自己の非を認めて被害者に謝罪し被害の回復に努力するどころか、現在においてもなお公訴事実記載と同様の加害行為を続行し益々被害の拡大に努力しているのであつて、改悛の情絶無はいうはおろか、良心の片鱗だになく、専ら醜悪な私怨をもつて行動し新な同種犯行反覆累行の意志の確乎不動なものというべきである。

被告人個々について論ずれば被告人久野は元雑誌記者で足立篤郎に対する政治的私怨と利得の目的(松井から金十万円を交付されている)から怪文書の作成発行を思い立ち、被告人松井に相談して賛成を得、同人の指揮の下に原稿と文書の作成に当つたもので、被告人松井は袋井市会議員で、久野からの申し出に応じ合計金十万円を与えて本件を主謀計画したものであり、被告人加藤光夫は同じく袋井市会議員で、被告人松井から犯行計画を打ち明けられ積極的に加担し、同人から一万五千円の交付を受けて材料購入を差図し、文書作成の現場において作業を指揮したのである。後者二名は、共に自民党に属する地方有力者で党内の派閥上足立篤郎と対立し、久野同様私怨を抱いていたものである。被告人池田は、久野が松井宅に原稿を持参した際松井宅に居合せてその計画に賛成して参画し、被告人佐藤は池田と共に松井宅で久野の原稿を一覧した後池田に呼ばれて参加し、被告人川村は作業場所、印刷機等を提供して参画した。他の者はいずれも作業現場から呼ばれて加担したものであるが、その中被告人志村、同加藤虎司は川村に呼ばれて加担し、その後志村は更に印刷機、電話帳を借りて来る等積極的に動き、加藤虎司は、被告人鈴木勲、同高橋、同鈴木覚を呼んで参加させた。なお池田は他に判示第二の事実が、佐藤は判示第三の事実があり、川村、志村、加藤虎司、鈴木勲、高橋、鈴木覚達は、それぞれ同地区の社会党或いは労働組合の幹部であり、保守政党とは異なつた立場からその政治的責任を国民に負担しながら、反対党内部の泥試合に参加したもので、政治的節操を疑わしめるものである。

よつて、以上諸般の情状を考慮のうえ、被告人久野新一、同松井一郎に対しては、本件の中心人物として責任最も重大であるから実刑を科することとし、他の一〇名は、全て固い秘密裡の鉄の団結の下に共謀して実行行為に関与している点の責任を問い、いずれも懲役刑を科すものの、前記二名に比較し副次的役割の色彩をもつので、酌量して執行猶予を付することとした。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 永渕芳夫 植村秀三 古口満)

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